誕生
三世代が同居する家に昭和から平成に移ろう頃に誕生しすくすく育ちました。
両親はサラリーマンと専業主婦というよくある構成、さらに兄と祖父母が暮らしていました。
家庭環境はTHE昭和で男尊女卑が顕著でした。当時はそれしか知らなかったので、なんの疑問もなく過ごしていました。特に父は気に入らないことがあると大声で怒鳴り恐怖で人を支配しようとしていました。私にとってはとにかく怖い存在でいつ怒りだすかわからないのでびくびくしていました。今でも怖いです。
食事の時間
5歳くらいのときだったかな、お箸がうまく持てずクロスするようにもっていたらそんな持ち方のやつは食うなと怒られ、泣きながら正しい持ち方になるよう練習しました。魚があれば、どこから食べて身のほぐし方骨の外し方など逐一監視され小言が続きます。醤油瓶を倒してしまったときも瞬時ににらまれなにしてくれるんだと怒られます。好き嫌いも許されません、配膳されたらとにかく全部食べるのです。食事の時間で楽しいと思ったことはあっただろうけど思いだせません。とにかくお腹を満たしてその場から離れたかった。
体調不良の時
風邪をひくなど体調不良になったとき、自己管理がなっていないからだと怒られ、病院に行くとき車に乗った私をにらみ不満をあらわにしていました。夜中に咳が激しく出るときはうるさいと怒られます。こんなときでも怒られるのかと、とにかく悲しかった。保育園や学校が休めるのはうれしかった。
他にもいろいろあったな
家族旅行に出かけたときは父の行動にすべて従うことが求められ、みたいものがあってもじっくりみることはできず、どんどん先を歩く父についていくことに必死でした。こんなの家族旅行じゃなくて父の旅に家族がついていってるだけじゃないかと毎回思いました。
夜9時からの観たいドラマがあって音量を下げてみていた時、突然父がやってきて、こんな時間までおきてるんじゃねえ寝ろと一喝され、テレビと部屋の照明を消され真っ暗な部屋に取り残されました。夜のお楽しみは強制終了しました。テレビはNHKしかみない父にとって民放ドラマは必要ないのです。
実家は兼業農家のため週末は畑に出かけます。私も手伝うことが常でした。子供とはいえそれなりの働きをしなければ怒られるのです。できないとかやりたくないとか言えるような雰囲気ではなかった。友達はショッピングや映画などに連れていってもらっている間、私はずっと畑にいました。当時は友達の話がうらやましくて悔しかった。
心がぎゅっと締めつけられる感覚
怖いときや失敗したとき心が凝り固まり小さくなるように感じます。そんなことが何度もあるもんだから、父を見ると条件反射のようにこの症状がでます。常にいつ怒られても耐えられるよう構えておかなければならなかった。実家に住んでいた頃の私の写真を表情が乏しく、怒っていないのに怒っているように見えました。目がすわっていました。
自由は少なかったかもしれないけど不幸ではなかった
子供は従属する存在でしかないのだと諦め、従い続けることが平和に過ごす条件だった。とにかく従えば生きていけた。衣食住困らずに生活できたのだから十分だった。こんな風に不幸ではなかったと振り返ることができるのは、母の存在があったからだ。次回は母について記してみようと思います。
みなさまはどのような家庭環境だったでしょうか。いまだに忘れられないことや乗り越えられないこともあると思います。それでいいと思います。無理に解決したり消そうとしても心がしっかり覚えています。
思い出して悲しい気持ちや苦しい気持ちになったとしても、それはその出来事に感情のラベルがついているということです。整理整頓し、引き出しにしまうことができるしまた見直すこともできるのです。
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