母の若いころ
私からみた母はとにかく「賢い」という印象です。立ち回りが機敏で家事、育児をうまくこなしていました。嫁いでから義父母、義弟と生活しており想像を絶する大変さだったと思います。私は時々母に、嫁いだとき大変だったでしょ、と聞いても母はもう昔のことだから忘れたわ。とあっけらかんとしています。忘れるわけがないと思います。母は言わないだけなのです。今の時代に生まれていたら、母の人生はどんな人生になっていただろうと考えることがあります。
存在の大きさ
私は母に甘え、いつでも後ろにくっついていました。今おもうと鬱陶しかっただろうと思います。父から金魚のフンだとよくからかわれていました。私にとって母がすべてだったといっても過言ではなかったと思います。私は小学校に入学した当初、登校拒否していた時期がありました。どうしても学校が楽しいと思えなかったのです。母は登校に付き添ってくれたり、車で送ってくれたり手をかけてくれました。行きなさいと突き放すことはせず、根気よく関わってくれました。
母が仕事や用事で家にいないとき、私はとてもそわそわと落ち着きがなく不安でした。このまま帰ってこなかったらどうしようと考えていました。それだけ私にとって母の存在は大きなものでした。
今、母に思うこと
現在母は還暦を迎え、畑や義母の介護で忙しい毎日を過ごしています。私が帰省すると、一生懸命孫の世話をしてくれ、おかげで子供たちはばあば大好きっこになりました。
私は実家に居たころは盲目に母を尊敬していました。価値観が私自身と違っていても母のほうが常に正しいと思っていました。でも、だんだん苦しくなってきたのです。なぜだかその時は理解できず、母の考えに染まらず抵抗しようとする私が悪いのだと自分を責めていました。
ある時ふと、私も母も全能無知ではないのだ、私と母は違う人間なんだ、だから違いがあってもいいんだと考えられるようになりました。このある時というのは里帰り出産をしたときです。
次回は私が初めての出産で実家に帰っていた時のことを記します。
自分を苦しめる人
このような人は皆さまの周りにいるでしょうか。関わりたくないと思うような人や私のように大切だったはずの人が自身を苦しめる存在になることもあるでしょう。
この苦しみから解放されるにはどうしたらいいのでしょう。接触しない、これが一番手っ取り早く効果がありそうです。しかし、そんなに簡単に割り切れる関係でないことも多いはずです。
あなたの一番近くにいる人に守ってもらう。これができれば最高です。
一番近くにいる人とは、「自分」です。自分を成長させることが、何か嫌なことが起きても割り切れる、引きずられない私になれるのです。
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