あのスローモーション
最近、瓶を割りました。近年なかったこの事象。割れるまでの空中に浮かぶ瓶がものすごくゆっくり見えた。「あ、割れるわこれ」と眺めることしかできなかった。けがはなかったものの、入手困難な商品だったので落胆具合は深め。後片付けもあたふたと。瓶は割れてしまえばガレキになってしまい処分するにも手間がかかる。さて、砕けてあちこち飛び散ったキラキラをきれいに片づけなければ。以前割ったお茶碗の破片で足裏を傷つけたことがあるので注意深く見つける。小さい野次馬がちょこちょこ視界に入りなんとも目障りで、あっちいっててと何回も言った。それにしても危機的状況のときに体験するあのスローモーションに名前はついているのかしら。ある意味ゾーン(超集中)に入っているともいえるね。
あーもう、最悪!
反射的に言いがちなこの言葉。あーもう最悪!といったら、「最悪」になってしまう。瓶が割れること以上に良くないこと、起きて欲しくないことはたくさんあります。「最悪!」のラインを低く線引きしていると、ネガティブな感情にのまれる頻度が増えます。感傷的になったり否定的な考えで頭がいっぱいになると、立ち直るのにとてつもないエネルギーが必要になります。そうではなくて、一種の気づきとしてこういったハプニングを捉えるように意識してみることを提案したいと思います。
かたちあるものみなこわれる
映画のセリフのなかにこんな言葉がありました。なんの映画か思い出したかったのだけど、どうしても思い出せなかった。邦画か洋画かジブリだったかも思い出せない。悔しいぃ。思い出したら追記します。かたちあるものが形あるためには、触らないことが一番。でもそれって、無関心てことですよね。手に取りたい衝動、得られる経験を想像すらしないってことです。関わるのであれば、かたちあるものはこわれることもあると承知しておけば、心の浮き沈みは小さな波でおさまるのではないでしょうか。そして、こわれてしまってもそれが自分自身に降りかかる厄をひきうけてくれたと考えるのはどうでしょう。むしろ感謝があふれませんか。割れてしまった、壊れてしまう瞬間は誰でも驚きます。その後のワンクッションに、かたちあるものみなこわれる・厄をかわりに引き受けてくれたと考えてみてください。きっとその出来事の予後、経過はこれまでと変わるはずです。
みなさんの「あーもう、最悪!」エピソードはなんですか?
コメント