私は林檎の木を植える
明日、世界が終わるとしても 私は林檎の木を植える
この明言はドイツの神学者で宗教改革創始者であるマルティン・ルターのものです。これはどのような状況であっても、新しいことに挑もう。希望が明日につながるかもしれない。という意味だそうです。明日に希望が持てないとしたら、今日をおろそかに、なんとなくの気持ちで無駄にしがちです。物事の大小に関わらず、このような心持ちでいることはよりよい人生をつくるにあたって大切な習慣になりうるなと感じました。
なーんて、もっともなことをつらつら書きましたが、目の前のことを楽な方に流されている私もいるわけです。私にとって林檎はなにか、木を植える行為はなににあたるか明確でないことも楽なほうに行きがちな理由かと思っています。ほしい林檎はたくさんあるんです。今書いているこのブログも私にとってのりんごちゃん。でもいつも同じ林檎を育てても、他が育たない気がしちゃって目移り~そして木を眺めている時間がのびていくのです。
ルターは宗教改革を突き詰めた。私は何を突き詰めようか。
アップル(MacbookとかiPhoneの)はこの明言を知っててこれがあの林檎マークの由来だったりして、、、
明日が来ることを疑わない、平和ボケ
明日生きているかは誰にもわからない。
でも、私は明日がくることを疑わない。明日食べるチョコもあるし、洗われずにシンクで待ち続けるお皿もいる。これは希望でもある。明日の自分への甘やかしと労働の期待。いいのだ、今とっても幸せだから。
平和ボケと突き放されても、この言葉の棘に負けない強い皮膚をまといにこにこしていたいなと思う。
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この記事の最後に書いています。あなたと欲しい林檎が一緒だったらうれしいな。
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