忘れられていた記事
この記事の題名を決めてから、一年近く時間が経ちました。下書きになったまま眠っていました。この一文を改めて読んで、誰かのために存在する自分を優先しがちだなと感じています。自分のために生きる、主人公は自分であるとわかっているつもりなのに、子どもの好きなものを買っておこうとか夫の予定を確認してから美容院に行けるか考えようばっかりしている自分がいます。この記事の題を決めたとき、自分のためにいきる力や勢いがあったからこう書いたのだろうに、いまはどうだろうかと考え込んでいます。
本の一文
そもそもこの一文は柚木麻子さんが書いた『本屋さんのダイアナ』という本のなかにあったものです。ダイアナちゃんがでてくるわけなのですが、自分を大切にすることの大切さに気付いてイキイキしてくるのです。「わ、すてき」と素直に思いました。自分にないものに憧れて心がすさんで、あの子だったらよかったのに、もっとキラキラした人生になっていたはずだったのに私にはできない。と人生に蓋をして閉じこもっていたダイアナちゃんが変わっていくのが印象的でした。この文章を書いていて、なんだか思い出してきました。元気になるビタミンこの本からもらったようです。
主張的と非主張的どちらが正解なのか
この問いだけだと、どちらが正解と思うでしょうか。
そりゃあ、主張的であるほうが正解でしょ。
と思ったそこのあなた。正解です。でも、「実践」できているでしょうか。ここでいう主張的というのは、私の意図が相手に伝わって、相手が理解を示し双方とも不快にならないコミュニケーションをさしています。
言いたいを言いたい放題というわけにはいかないものなのです。正しく主張するコミュニケーションはまわりまわっていいことがかえってくるのです。
例えば、あなたはレストランでAランチを注文しました。
しかし店員が運んできたのはBランチです。
このときあなたはどうしますか。主張的なコミュニケーションで相手に伝えるにはどのようにしたらいいでしょうか。ケースバイケースであるとは思いますが、怒りにまかせて間違いを指摘するのは避けたいところ。Aを頼んでBがきたときの素直な感情を伝えてみましょう。どうしてBがきたのか(疑問)、注文間違えていたかな(心配)など怒りにいたる前の感情に注目し伝えてみましょう。落ち着いてコミュニケーションできるだけでも事態の悪化は避けられます。
そして事後の記憶も正しい方法で主張できたことで、「トラウマ」になることはないと思います。
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